ブログ - 将棋レッスン ワン・トゥ・ワン

初段ナビゲーターのランダムノート


武富礼衣女流初段。愛称は(ダニーならぬ)ドミーか、レイチェルか。デビューして間もない頃、AbemaTVで聞き手を務めているのを初めて見ました。屈託のない笑顔と、物怖じしない度胸のよさが目を引いた。知り合いにとてもよく似た人がいるんです。

イベントなどでお座敷がかかることも増えるかと。でも今は棋力向上に専心してほしい。持ち前の人懐っこさで、先輩棋士たちにどんどん教えを乞うてもらいたいですね。

応援の意味も込めて、先の女流順位戦の昇級者予想では本命に推しました。現状1勝3敗とやや苦しい立ち上がり。卒論をもう少し早く書き終える見立てだったのですが……。

その卒論のテーマは「棋風と性格」だとか。さぞかし力のこもった秀作でしょう。卒論の著作権は大学側にあるのかな。(そんな訳ないか)。将棋ファンのために、ぜひとも公開していただきたく。もちろん対価はお支払いします。新会館のクラファンの返礼品などはいかがでしょう。

スナップショット

(図は▲5七銀右まで)
2202

【ピリ辛流2手目△4二飛メモ(6)】図から△5二金左や△6三銀も一局でしょう。実戦はどちらも含みにして△7三桂。以下▲4六銀△3二金▲6七金右△6二飛▲3五歩△4五歩▲3四歩△同銀▲3五歩△4六歩▲3四歩△2二角▲4六歩△6五歩と進みました。

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ランチョンマットの新作を手にされた方からは、概ね驚きとお誉めの言葉をいただきます。「いろは譜」という江戸時代の棋譜の表記方式を紹介しましたが、これを覚えてほしいわけではなく、普及や啓蒙を図るつもりもありません(笑)。

小生かねてより「いろは歌」に興味があり、オリジナルのいろは歌(かな文字を重複なく連ねて意味のある歌にしたもの)作りを趣味としています。

平安時代より由緒のある「古式ゆかしい知的パズル」。その成り立ちから、全部・達成・奇跡などに通ずる「言霊宿る開運吉祥アート」を実感します。書や絵画、音楽などと組み合わせるもよし。自称「いろは歌ライター」として、いろは歌を作り歌うのは、おそらく日本で私一人でしょう。

将棋にちなんだ近作を。新棋戦「白玲戦」。女流棋士たちは皆決意も新たに精進を誓っているでしょう。対局前夜の高ぶりを詠んでみました。

白玲へ 女の幸せ プライドかけて
夜 声さえ胸に秘め
ぽつり 満ちぬ勇気を またぞろ燃やす


はくれいへ おんなのしあわせ ふらいとかけて
よる こえさえむねにひめ
ほつり みちぬゆうきを またそろもやす

017はくれ

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Aさんと実戦2局(矢倉、ゴキゲン中飛車)。2局とも、双方の玉の詰む・詰まない、渡せる駒・渡せない駒の見極めなど、難しい終盤戦になりました。

(図は△5六銀まで)
原2201200368手

後手が懸命に追い上げた局面。(図の△5六銀は詰めろ竜取り)。図から▲5五角が攻防を兼ねた鋭手でした。以下△6七と▲8八玉△4五銀▲7四桂△8三玉▲6三銀△5七飛▲7五桂△9二玉▲7二銀不成△同金▲6三と△5五飛成▲7二と。途中後手玉に詰みがありました。


井上慶太九段のイメージは、温厚で朗らか、タレント豊富なお弟子さんたち、軽快な居飛車党……などでしょうか。某日、モバイル中継で図の局面が目に留まりました。

(図は△2五歩まで)
20211006藤井井上10手

井上さん、自由だなあ。楽しそうだなあ。昨年10月6日、順位戦B2・対藤井猛九段戦。10手目△2五歩まで。昼食休憩時の局面です。昼食の天津丼はどんな味がしていたでしょう(笑)。

二人の対局では、かの藤井システム1号局が有名ですね。(47手で藤井さんの勝ち。1995年の順位戦B2)。このトラウマ?のせいか、対戦成績は(本局前まで)藤井さん12勝、井上さん2勝と偏りがありました。最近は相振り飛車が続いていたようです。

図から▲7八銀△7七角成▲同銀△2二飛と進み、井上さんは中住まいから、馬を手厚く自陣へ。その後も指し手は冴え渡り、見事に快勝されました。晴らした憂さはいかばかりか。

スナップショット

(図は▲2六角まで)
2201

【ピリ辛流2手目△4二飛メモ(5)】次の手は好みが分かれそうですね。ピリ辛流は△9二香▲3五歩△9一飛。以下▲6六銀△5四歩▲2四歩△同歩▲3四歩△同銀▲3八飛△4三銀▲3四歩△4二角▲3七桂△8四歩▲5五歩△6五歩▲7七銀引△9五歩と進みました。

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学生の頃から見ていた「クイズダービー」(TBS系列)。馬券の人気は、3枠・はらたいら、4枠・竹下景子に集まった。1枠には長く篠沢秀夫(大学教授)が座った。浮世離れして正答率は高くなかったが、たまに穴を開けていました。

篠沢教授は、答えを知っている問題が出ることを「不愉快」と言った。知らない問いをあれこれ謎解きすることが(それがとんでもない誤答であっても)「愉快」なのでしょう。学者らしいというべきか。

将棋にも相通ずるところがありませんか。AIが進化し、定跡が整備されても、結局は未知の局面に遭遇する。下手は下手なりに、ない知恵を振り絞って、ああでもないこうでもないと考えることを楽しんでいるのです。

新旧の王者が、会見でよく似た回答をしていたという*記事を読みました。

藤井聡太竜王(竜王獲得後、「将棋とは」という質問に)
「将棋は奥が深くて、どれだけ考えてもわからないものではあるんですが、本当に指すごとに新しい発見を与えてくれるものなのかなと思います」

羽生九段(永世七冠を達成後、今後の目標について聞かれ)
「もちろん記録を目指していくというのもありますが、将棋そのものを本質的にどこまで分かっているのかと言われたら、まだまだよく何もわかっていないというのが実情です」

トッププロをもってしても「分からない」。我々アマは言わずもがなですね。分からないから面白い。だからもうこれからは本当に、指したい将棋を、指したい手を、指したいように指そうと思います。口だけではなく--。

*(参考記事)将棋を愛し強き者の共通点 藤井聡太竜王・羽生善治九段 2人の天才が竜王獲得の会見で一致した「将棋はわからない」という言葉 | ニュース | ABEMA TIMES

(コラム「ひよこのきもち」 目次はこちら

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