将棋を覚えた小学生のとき(50年ほど前)から米長邦雄永世棋聖のファンでした。名人戦で何度も中原名人の厚い壁に阻まれるのを歯がゆく見ていた。四冠王の頃、先崎九段が述べるところの「終盤で一手ずつではなく、自らだけ一・五手指すような感じ」(『米長邦雄の本』)も覚えています。
『運を育てる』など、著書も多く読み、影響も受けました。『六十歳以後』には、「七十歳の恋、すなわち妻からの自立を目指して、私はこれから十年間がんばる」とあります。
連盟の会長職に就いた晩節は、子供への普及やAIとの共存など、今日のブームにつながる課題に力を尽くされました。第1回電王戦でボンクラーズに対し、2手目△6二玉から築き上げた空中要塞も強く印象に残ります。
同対局の自戦記『われ敗れたり』や、週刊誌の連載をまとめた『将棋の天才たち』の刊行は、晩年をまさに一・五手の速さで駆け抜けたようでもありました。
今月私は齢六十を迎えます。

(図は▲2九飛まで)

【ピリ辛流2手目△7二金メモ(4)】図から(1)△4二角は軽率でしたか。以下▲4五歩△同歩▲6五歩△3三桂▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲2九飛△5三角▲6四歩△同銀▲4五桂△同桂▲同銀△4四歩▲5六銀引と進行。感想戦では(2)△8五歩や(3)△4一飛が挙がりました。
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